こんにちは、
不登校カウンセリングセンターの
宮田武志です。

今日も我が子が学校へ行けなかった…
それどころか、ドア越しに語りかけた「おはよう」の声にさえ反応してくれない…
「どうして起きないの?」「どうして返事をしてくれないの?」という言葉がのどの奥で引っかかる。
声に出せないのはこの言葉が我が子をさらに追い詰めてしまうのではないかという不安と恐怖があるから。
我が子のことを心配すればするほど声のかけ方が分からなくなる。
「何で学校にいけないの!」と思わず大声を出してしまったあの日以来、我が子の心は完全に閉じられたままだ。
どうすればいいのだろう?何て語りかければいいのだろう?
我が子なのに我が子のことが分からない。
迷いと不安と後悔だけが頭の中をぐるぐると駆け回る。
我が子を心配する気持ちに嘘偽りはない。
心配だからこそ、つい口から出てきてしまったあの言葉。
しかし、我が子にとっては親からのその一言が、他の何よりも耐え難いものだったのだ…
これは、子供が学校へ行けなくなってしまった家庭で実際に起こったエピソードです。
このような場面に直面した親御さんの心の内を想像すると、その苦しさが痛いほど伝わります。
「我が子を苦しめる原因を知りたい」「その原因を解決してあげたい」と思えば思うほど、上で伝えたような言葉があふれてくるものです。
しかし、このお子さんの場合は「どうして?」「なんで?」という優しさの気持ちがこもった言葉でさえも苦しみを増やしてしまうパターンだったのです。
皆さんは「非定型不登校」と呼ばれる不登校のパターンを知っていますか?
これまでは、いじめや体の不調など、ある程度原因がはっきりしていたパターンの不登校がほとんどで、これを「定型不登校」と呼んでいます。
しかし、今は上であげた子供のように、はっきりとした原因がなく本人さえもその原因が分からないまま学校を休んでしまう「非定型不登校」が急増しています。
「非定型不登校」の子供には「どうして?」「なんで?」と問いつめても、答えてくれることはほぼありません。
それもそのはず、休む原因がはっきりとしていないのだから答えようがないのです。
しかし、質問に上手く答えられなかった子供は自分自身のことをやがて責めていくようになり、「あぁ私はもうダメだ」と本格的な負のスパイラルへと落ちていくのです。
この負のスパイラルがさらに不登校を長引かせてしまうことになるのです。
「どうして?」という問いかけが、不登校解決の壁になってしまうことをぜひ理解しておいてください。
では、不登校の子供への声のかけ方はどうすればいいのでしょうか。
それは
「今日も一緒に過ごそうね。」
です。
「どうして?」の代わりに、「今日も一緒にいるよ」と伝えてください。
それだけで十分です。
「一緒に過ごそうね。」という言葉には優しさや愛情の他に、「あなたを全部受け止める」という心強さを子供に感じさせますよね。
「あなたがこの扉を開いて出て来れる日まで、私はそばにいるよ」という親の気持ちがもう一度伝わると、子供は再び安心感を持ち始めます。
その安心感を取り戻してこそ、子供は自分の意志で扉を開ける行動に移っていくのです。
自分と社会に限界を感じ、心を閉ざしてしまった子供には解決のヒントや常識論は受け入れられません。
この時に本当に必要なのは「私はあなたと一緒にいるよ。」という想いが伝わる言葉なのです。
前回の私のブログに書きましたが、苦しんでいる人間がまず感じたいのは「私を受け入れてくれた」という安心感です。
不安は子供自身が一番感じています。
だからこそ、親御さんが先ずは大きく腰をおろして、一歩一歩進んでいきましょう。
結果は後から必ず付いてきます。
しかし、大人である親御さんはもう1つの心構えを持つ必要があります。
それは、「一緒に過ごそうね」という言葉に込めている想いが「あなたの望みを叶えてあげる」という想いに行きすぎないことです。
私は「ずっと扉の内側にいていい」「やるべきことでも休んでいい」ということを言っているわけではありません。
人に寄り添うことはその人の責任を取り除くことではなく、一緒に責任を負うということです。
甘やかすこととは違います。
我が子の将来に降りかかるであろう責任を一緒に背負うという覚悟を改めて持ちながら、もう一度、子供のそばで過ごし始めてください。
必ずや何かの気付き、発見、学びに結び付いていくはずです。
子育ては「親育ち」とも言い換えられます。
自分の元に生れてきた我が子との縁を大切にしていきましょう。
ここまで読んでみて、不登校の子供への声のかけ方とその心構えは分かったことでしょう。
しかし、分かったからと言っていざ実際にやってみると難しい面も見えてくるものです。
そんな時に子供の前で「どうしたらいいか分からない」とぼやいてしまうことがあるかもしれません。
しかし、この言葉は「NGワード」です。
子供の心の扉が開かれ始め、少しずつ自分の気持ちを伝えてくるようになれば再び親子の会話が増えてきます。
そうすると、「この場面では何と言えばいいのだろう…」という試練が再び現れてくるのです。
子供に寄り添うと改めて決意した後であれば尚更、親の苦しみも深くなってしまうものです。
しかし、子供には「自分のせいでお父さん、お母さんが苦しんでいる…」と思わせてはいけません。
子供がそのように感じてしまうと、その子供は親を守るために再び心を閉じてしまいます。
「自分の苦しみのせいで親を傷つけてしまった…」
そのような思いにだけはさせないでください。
たとえ親としての苦しさに押しつぶされそうになっても「どうしたらいいか分からない…」という言葉を子供に聞かせるのはやめましょう。
言葉は、自分の思ってもいない方向に捉えられてしまうことがあります。
そして、言葉はたった一言だけで人の心を大きく動かしてしまうこともあります。
だからこそ、自分が発する言葉に少しずつ意識を向けてください。
思ったことを上手く伝えられなくてもいいです。
親だからと言って完璧じゃなくていいのです。
たとえ失敗したとしてもまた明日から始めればいいのです。
親子の縁は切っても切れないものです。
切れないからこそ、何度も言葉を選びながら思いを伝えることができます。
でも本当に大切なのは、言葉を選ぶことではなく、我が子のことを想うことです。
うまく言えなかった日があったとしても、そんな日を忘れずに次に生かそうとすることが親の役目です。
歩くのをやめてしまった我が子の前では親であるあなたが歩き続けてください。
子供の苦しみは本物です。
子供に寄り添う親の苦しみも本物です。
しかし、両者には大きな違いがあります。
子供にはできないけれど親になら出来ることがあるのです。
その出来ることの1つは、私たちのような心の専門家に相談することです。
私たちの前では「どうしたらいいか分からない…」という親としての本音を好きなだけ吐き出してください。
その代わり、我が子の前では「そうなんだね。でも大丈夫、そばにいるよ」と伝え続けてくださいね。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
では、また次の機会にお会いしましょう。
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